事務所だより

映画「新聞記者」と「天気の子」を見て

映画「新聞記者」と「天気の子」を見た。

「新聞記者」は、安倍政権及びその下請けのスパイ機関「内閣情報調査室」の暗躍に抗する松坂桃李演じる官僚と中日新聞東京本社の望月衣塑子記者役の「新聞記者」を原案として、安倍政権の大学設置の陰謀や安倍氏に親しい元TBS記者のスキャンダルのもみ消しなどにヒントを得た案の葛藤が描かれる。

 「天気の子」は日本の伝統的な自然崇拝を背景とするアニミズムと現代の矛盾を突く作品のように思えた。異常気象に襲われる東京と天気と結びつく巫女、その巫女に恋する男子高校生を中心に描かれる。「天気の子」では東京が水没していくことになるが、ある老婆が「これが江戸の本来の姿。元に戻っただけ」と述べる言葉は印象的にとらえられた。自然対人間という対立軸も問題提起の中に含まれているのだろう。巫女は自分を犠牲にして東京に晴れを取り戻させるが男子高校生はこれを救うために巫女が天気と結びつけられた神社に向かい女性を救出し、その過程で形式的には多くの犯罪に触れることになる。

 「この国の民主主義は形だけで良い」(新聞記者)-印象的な言葉だが体制側と体制を維持する勢力の本音が映画で描かれているように思えた。本来、私たちは、間接民主主義を通して権力を議院内閣制の下、政府と与党に信託はしているがそれが私物化されるような実態を描いた「新聞記者」は、トランプ政権の政策を批判するCBSドラマ「グッドファイト」を思い起こさせる。しかし、内閣情報調査室がスキャンダルをしかけたり、NSAが無尽蔵にタッピングを繰り返していることは今後、日本の改正刑訴法で盗聴に電気通信事業者の立会が不要になるという懸念があるといわれ

 そして、「天気の子」でも警察と児童相談所は、男子高校性と女性とその弟の幸せを妨害する「悪人」として描かれる。身の危険を感じて男子高校生を支援してきた男性も誘拐罪に問われると困るとしていったん手を引くが男子高校生に複数の警察官が拳銃を持って取り囲む姿に憤慨して神社に行き女性を助けに行くように男子高校生に助言する。

 だが、松坂役や望月役も内閣情報調査室から個人攻撃に遭うし、また男子高校生はひょんなことから権力に追われ、女性も児童相談所から追われる展開となる。

 グッドファイトでもNSAが日常的に国民の電話をワイヤータッピングしていることが分かり、「新聞記者」では内閣情報調査室が「5ちゃんねる」や「ツイッター」に書き込みをして世論形成をしていく不気味さが描かれる。

 昨日、もう30年前のTBSドラマ「スウィートホーム」を見たが、あの時のある程度の自由さと今の息苦しさの違いは何か。韓国では前最高裁長官が法廷で「この国は『検察共和国』だ」と鋭く批判した。この国も「忖度」という王様に使うような言葉が跋扈している。これに抗する者は批判される。今やこの国ではNHK放送総局長が「国民には厳しく対処していきたい」との権力者目線。みなさんはどう思うだろうか。